あなたは、人を殺したいと思ったことはありますか?
本気で殺してやりたいって思ったことはないけど、「死ねばいいのに」くらいは、日常でもあるかも…
思いの強さ・弱さはあれど、ひょっとしたら、殺人衝動は、誰にでもあるのかもしれません。
その衝動にブレーキをかけているのは、殺人は罪だという、法律や道徳・モラル。
しかし。
『10人産んだら、ひとり殺してもいい』
という法律が出来たとしたら、どうでしょうか。
『殺人出産』は、そんな「殺人出産制度」が認められた、近未来の日本に生きる人々を描いた物語です。
この本を読んで、今まで自分が信じてきたものは、薄氷の上のように、脆く頼りないものだったのかもしれない…と衝撃を受けました。
既存の価値観を揺るがす問題作、『殺人出産』について、ネタバレなしでご紹介します。
Contents
『殺人出産』あらすじ
避妊技術が発達し、出産の主流は人工授精になった、近未来の日本。
偶発的な妊娠はほとんどなくなった代償として、人口は減少の一途を辿っていた。
人口減少に歯止めをかけるべく、政府は「殺人出産制度」を作る。
『10人産んだら、ひとり殺していい』という制度により、誰かを殺したいと願う人は「産み人」となり、子どもを10人産むことを目指す。
「産み人」は、いつしか人類の希望として、周囲から賞賛され、崇められる存在となっていった。
主人公・育子の姉、環も、17歳の時に「産み人」となって以来、20年間子どもを産み続ける日々を送っている。
環は、誰を殺したいと思っているのか――。
もしかしたら、私なのかもしれない――。
殺人出産制度、そして、この世界そのものに違和感を抱きながら生活している育子の日常は、早紀子との出会いによって、変わっていくことになる。
『殺人出産』 登場人物
育子…この物語の主人公。殺人出産制度が一般化される前の時代を経験しており、殺人が肯定されている世界に違和感を覚えている。
環…育子の姉。17歳で「産み人」となり、20年間子どもを産み続けている。才色兼備な優等生だったが、幼い頃から殺人衝動がある。「産み人」になった動機も、そのあたりが関係しているようで…?
早紀子…育子の同僚。殺人出産制度に反対している『ルドベキア団体』の一員。育子の姉が「産み人」であることを突き止め、環にこの制度の被害者代表として名乗りを上げてもらいたいと望んでいる。
ミサキ…育子の従妹。小5。夏休みを利用し、都会の育子たち姉妹の家にホームステイしにやってきた。夏休みの自由研究に「産み人」を題材として選び、調査を開始する。向上心が強く、しっかりした少女。
物語は、主人公・育子の視点の、一人称で語られます。
育子から見たこの世界は、いったいどのようなものでしょうか?
あなたの常識は、本当にアタリマエ?
『殺人出産』は、殺人が完全な悪でなくなった世界線の物語。
現代とは、価値観が大きく異なっています。
普通の殺人は罪にあたるのですが、殺人の意味は大きく異なるものになりました。
『命を奪うものが、命を造る役目を担う』
恋愛とセックスの先に妊娠がなくなった世界では、何か強烈な「命へのきっかけ」が必要で、「殺意」こそがその衝動になり得る。
そのため、合法的に殺人を行うことのできる「産み人」は、人々から崇められるようになったのです。
もちろん、「産み人」にならず、殺人を犯す人もいます。しかし、そうして罪を犯した人は『死刑』ではなく、『産み刑』に処されます。
産み刑って…ナニ?
女なら、初潮を迎えると同時に処置される避妊具を取り外され、男なら、人工子宮を取り付けられ、死ぬまで子どもを産ませ続けられる。それが、「産み刑」
え…これ、エグくない…?
死をもって死を成敗するなんて、本当に野蛮な時代もあったものです、命を奪ったものは、命を産みだす刑に処される。こちらのほうがずっと知的であり、生命の流れとしても自然なことなのです。
『殺人出産』村田沙耶香
育子は、殺人出産制度が導入された初期、黎明期を生きてきました。
「殺人は罪」という、過去の価値観が根強く残る幼少期の経験から、殺人出産制度への違和感を強く抱いています。
反対に、育子の従妹、ミサキは、殺人出産が世の中に浸透した世界に生まれた少女。
向上心が強く、研究熱心で、「産み人」の存在が、人類の希望であると信じて疑っていません。
100年前の常識が、100年後には非常識になってしまったね
産み人となった姉・環
育子には、17歳で『産み人』となった、血のつながらない姉・環がいます。
環は、母が引き取ってきた『産み人』が産んだ子ども。
育子は、実の母が人工授精で産んだ子ども。
そのため母親は、環と育子、ふたりを分け隔てなく愛しているようで、環には距離を置いているようでした。
美人で頭が良い、自慢の姉。
しかし、環には幼い頃から殺人衝動を身の内に飼っており、育子もそれを知っていました。
環は、抑えきれない殺人衝動を、育子が環に殺させるために捕まえてきた虫たちを殺すことで、やり過ごしていたのです。
環は、小さな生き物を殺し続けることで、自分が本当に殺人を犯さないよう、ブレーキをかけていたんだ
環は、今もセンターと呼ばれる施設で、子どもを産み続けています。
育子は、環が殺したいのは、母もしくは、母から愛された自分かもしれない、と思っています。
10人目の子どもを産んだ後、環は誰を殺すんだろう?
姉の存在を知る同僚・早紀子
育子の前に、「産み人」になるため会社を辞めた先輩の仕事を引き継ぐために入ってきた、早紀子が現れます。
仕事が出来る彼女と打ち解けていきますが、早紀子から思わぬ問いかけを受けます。
身内に『産み人』がいらっしゃるから。きっと、『産み人』の感情をよくご存じなんじゃないかと思って
『殺人出産』村田沙耶香
誰にも、姉が「産み人」であることを言っていないのに、姉のことを知っている早紀子。
え…。なんで知ってるの?怖っ!!
早紀子は『ルドベキア会』という、殺人出産制度に反対する団体の一員で、100年前の元の日本の姿に戻そうと活動をしている人でした。
狂ってしまった『正義』を改め、この世界を再び正しい世界にするために活動しています
殺人出産 村田沙耶香
周囲から賞賛される「産み人」。
「産み人」が身内にいれば、周囲に自慢するのが普通なのに、それをしない育子たちが、自分と同類、殺人出産制度へ反対する者だと思って、近づいてきたのです。
育子は、殺人出産制度に、違和感や嫌悪感を抱いているけど、100年前の日本が正しい世界だとはひとことも言ってないのに…
姉の環を、この世界の「犠牲者」だと決めつけ、被害者の代表として声を上げさせるために、環と会わせて欲しいと懇願する早紀子。
早紀子は、過去の世界こそが正義だと信じ切っているのです。
果たして、早紀子は環と会えるのでしょうか?
会ったら、早紀子は環を、どう思うのでしょうか?
殺人を肯定された世界で、やっとうまく呼吸が出来るようになった環と早紀子は、言ってみれば真逆。対面したらどうなるんだろう…?
『殺人出産』が私たちに問いかけていること
この本は、本当に多くの問いを私達に投げかけています。
- 価値観の流動性
- 命の重さ
- 人間の本質は「悪」かもしれない
- 神の領域を侵すということ
詳しく見ていくよ!
①価値観の流動性
100年前には殺人は罪だとされてきたのに、100年後の近未来では、殺人の意味合いが大きく変わっている。
今、私達が正しいと思っているものも、100年後には間違っていたとされてしまう。
人の価値観は、時代によって移り変わっていくもので、『本当の正義』なんて存在しないことを教えてくれます。
それに気づいた時、足元がぐらついて、まっすぐ立っていられなくなってしまったよ…
②命の重さとは何か
『殺人出産』は、「10人産んだら1人殺してもいい」とされている世界。
ひとりの人間の死が、10もの命を産むのです。
ひとりの人間が犠牲になることで、10人もの命が生まれる。だから、その犠牲になった人は尊く、遺族も誇りに思うんだって。なんか、おかしくない?
人間ひとりひとり、命の重みは同じって価値観を持つ私には、違和感しかありません。
人ひとりの命の重みとは何か、と考えさせられます。
③人間の本質は「悪」かもしれない
殺人出産制度は、「人が殺意を抱くことは、自然なことである」と、殺意を完全に認めています。
「人間、生まれながらに悪である」ことが前提の世界。
殺意って、人間の普通の感情なの?人は生来、人を殺したいと願っているの?
私たちが、「人を殺してはいけない」と思うのは、社会によって無理矢理植え付けられたものかもしれないのです。
果たして、人間の本質は善か?悪か?
人間の、根源的な部分に迫る…!
④神の領域を侵すということ
私達がこの物語を読む時、生理的に嫌悪感を抱く人が多いと思います。
なぜ、嫌悪感を抱くのでしょうか?
既存にはない価値観をぶつけられているからってだけじゃ、ないと思うの
思うに、妊娠・出産の奇跡という、神の領域に人間が踏み込み、出産を完全にシステム化をさせてしまっていることにある気がします。
人間の生死に、人間がどこまで関わっていいのか。科学の発展と、医療の発達を、人間はどこまで追求していいのか。
自然な出産がほとんどない世界って、とても罪深いと思うんだ…
『殺人出産』のテーマ
この本は「死を意識することで、今を一生懸命に生きる」ということをメインテーマにしてると思います。
「産み人」の犠牲になって死んだ育子の同僚のお葬式後、葬列に参加した者たちは、こんな言葉を交わしています。
生きていることが尊く感じられるよね。死の可能性がそばにあることが、生きていることの素晴らしさをますます強く伝えてくるっていうか。
殺人出産 村田沙耶香
いつ死ぬかわからない。だから、生きていることがありがたい。
今の私達だって、いつ死ぬのかわからないのは一緒だけど、いつも身近に死を感じることで、今ある生を必死になって生きるんだね
反対に「殺意」も、生きる原動力になっています。
実は、育子自身も、殺意を身の内に飼っているのです。
高校時代の教師、アルバイト先のマネージャー、職場の上司。
理不尽に虐げてくる彼らを、頭の中で殺していくことで、生きる原動力としている育子。
殺せばいいんだ、という発想は私を救った。それを空想していると呼吸ができるようになったし、吐き気もおさまった。
殺人出産 村田沙耶香
殺人を夢想することで、育子は心を壊されずに済んだ。殺意が育子を救ったんだね
姉の環は、殺意について、こんなことを言っています。
殺意というものは、誰の人生にも宿る、ごく一般的な蜃気楼みたいなものなのよ。水に植えた人がオアシスの幻を見るように、生に固執する人間は殺人という夢を見る。それだけよ。
殺人出産 村田沙耶香
死を意識することで、生きることに一生懸命になれるんだとしたら、生きることには、どういう意味があるのでしょうか。
思わず、生きることそのものを、自分自身に問いかけてしまいます。
殺人出産制度がもっと進んで、産み人から生まれた子どもだけで世の中が成立したら、子どもはみんな殺人者の子どもってことだよね。それって、ぞっとするんだけど
作中に頻出する「蝉」の存在
殺人出産には、蝉が象徴的に使われています。
皆さんは、蝉と聞いてどんなイメージが涌きますか?
夏の象徴。そして、成虫になって地上に出てから、7日間しか生きられない、儚いイメージ。
煩いほど鳴く蝉には、7日間しか生きられない必死さや、わずかな時間で子孫を残さなければならないという、生への執着…といったものも感じられます。
殺人出産制度の世の中とは真逆。原始的な「生」の在り方を象徴するかのような存在って気がするんだよね。
しかし、まったく対照的ではなく、死を意識して必死になって生きる蝉の姿は、この時代に生きる人たちとも重なります。
100年後の世界では、昆虫食が流行中。なかでも蝉は、「蝉スナック」として、袋に入って売られています。
物語の重要なキーを握っている蝉。ぜひ、このような点に注目して作品を読み進めてみてください。
- 環が「産み人」になり、最初の妊娠をしたのは蝉が煩く鳴く夏
- 蝉は、育子と環が幼少期に、一番多く殺した虫
- 育子自身は、蝉を食べることに嫌悪感がある
- ラストシーンで突如として登場する蝉の存在
解釈は人それぞれ!ぜひ、色々深読みしてみて!
『殺人出産』同時収録作品
表題作以外に、3編の中編・短編が収録されており、こちらもなかなか奇抜な設定です。
トリプル
カップルではなく、3人で付き合う「トリプル」が若者たちの間で流行しだした世界の話。
主人公の女の子も、男の子ふたりと付き合っています。
清潔な結婚
夫婦は「家族」。だから、セックスするなんて気持ちが悪いとする、とある夫婦が、妊娠を希望するためにクリニックにやってきて…
余命
医療の発達により、自然死がなくなった世界。自分の死に方も、自分で選べるようになり…
どれも、考え付かない設定!この中では、短いけど『余命』が刺さったな~
まとめ
『殺人出産』は、私達が「常識」だと思っている価値観を、根底からひっくり返してくれる小説です。
設定は奇抜だけど、収録されている作品群はどれも短く、読みやすいです。
- 既存の価値観・概念をひっくり返されたい方
- 生と死について、深く考えたい方
- 純文学が好きな方
一見、SF小説のようでありながら、純文学としての質を保っている稀有な作品だと思います。
今の世界が真実だと妄信している方!この小説を読んで、その妄信がぶっ壊されてみて!とっても快感だから♡